新しい視点

「正しい」とは

 

正しいかどうかは、その人の都合

「正しい」ことが
まるで一つかのように取り扱われていますが、
実際は、超個人的な感覚にすぎません。

 

そして、「正しい」はその人それぞれの都合の良いように
変えられていく、と言うのが事実です。

 

便利?不必要?

例えば、新しく掃除機が発明されて、店頭に出た時に、ホウキではくべきだ、と、掃除機を使ったらいい。

と言う派閥が二つ出る。どっちが正しい?

それでは、洗濯機が出たとき、今まで通り、手で洗うか、洗濯機を使うか。

食洗機ならどうでしょうか?

お掃除ロボットは?

実際に家事をしない人には、どっちでもいいことでしょうし、
お金を出す側なら、買わない方が都合がいいですし、
家事をする側なら、買った方が都合がいいはずです。

家事をしないなら、その便利さが一向にわからないですし、
お金を出さないなら、そのお金の裏にどんな苦労があったのかわからないですね。

もしくは、機械で楽をしようと思っているのに、
お金を出す方にゴチャゴチャを言われるのなら、
手で洗っていたほうがよほど楽かもしれないですよね。

「正しい」とは

「正しい」とは、自分のしてきた経験と、入れてきた情報と、遺伝子と、社会的習慣の集大成であり

そこに、その立場の都合の良さが、混じっている、
超個人的なものなのです。

自分にとって「正しい」という感覚は、大切であるけれど、
自分と同じ「正しさ」を相手に期待することは、
他人の生い立ち、経験、入れた情報、遺伝子、育った社会環境、文化、時代、
そして、
その人が正しいと思う感覚や個性を
完全無視しているということに他なりませんね。

自分の「正しい」という感覚を
尊重してもらいたいと思うなら、

まずは他人の「正しい」が、自分の「正しい」と違くて良い、
とすることは、

今日一日、私たちができる
平和への一歩なのかもしれませんね。

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