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理想の家庭

理想が自分に化ける時

よく、「本当の自分」というが、今までは理想の状況または、自分の役割=私でした。理想という着ぐるみを脱いだ自分が本当の自分なんでしょうか?

私の理想の家庭は、家族が一緒にご飯を食べて、仲睦まじく過ごすことでした。

思い返すと、中学のときに兄を交通事故で亡くしてから、「家族が一緒にいる。」ということに恋い焦がれたのかと思います。

実際に、何としても結婚し、子供を産み、やっと手に入れた理想の家族。
仲睦まじく、お互いを思いやり、心地の良い場所のはずでした。

家族のために尽くし、結婚してからは自分の意見は無いものとしていて、その方が意見の食い違いも無く、平和に思えたし、うまくいっているように見えました。

それでも、家族間での意見の食い違いは起こり、私の様に無私になれば、みんなうまくいくはずなのに、と思いつつも、いつも仲裁役をしては、どんどん自分の負担が増えていき、「自分の番」は来るはずもなく、時々、自分がしたいことを言うと、わがままをいったのではないかという、罪悪感まで生まれている状態でした。

何もかも、「理想の温かい家庭」を再現することで私は満たされるはずでした。そして、家族のなかでもみんなが一人ひとりの意見を尊重する、という、民主主義を勝手に夢見ていたのです。

 

夫の浮気宣言

夫が浮気する宣言をしても、本人の意思尊重と、自分の理想の家庭の死守、子供の父親としての責任を考えたけれど、自分の意見は見当たらず、きっと夫婦関係、恋人関係は、形だけで、とっくの昔に終わっていたのかもしれません。結局、子供がもう、こんなお父さんとは一緒じゃなくて良い。もうお家に帰ろう、と言ってくれて、やっとほっとして、嬉々として家路に着いたので、きっと、ここでも、父母セットを子供には与えてあげるべき。そのために自分はなんでも我慢する、みたいに、愛する人の脇役に徹することから抜けることができない状態だったのですね。

専業主婦ドップリな私は、経済的な面でも心配するべきだったのでしょうが、私の一番の心配は、役割を演じるキャラが一抜けると困る。という感覚でした。特に死なれると困るっていう幽霊に取り憑かれていた模様です。

ですから、生きてさえいれば、不幸でも幸せ。ご飯が食べれたら、十分。浮気かぁ、死ななければいいのかな?という感じ。何よりも、あの青空が遠く、晴れの日が残酷に感じる、普通に外を歩いていても、ずうっと井戸の底にいるような場所には、もう戻りたくない。やっと這い上がったのだから。

染み付いた価値観

自分のことは、なんでも最後だったので、不満も我慢も慣れっこで、自分も無いものとして扱ってだんだん腰がガクガクになり、心身ともにしわ寄せが来ていました。

自分に何かを買うことはなく、子供が学校の友達の誕生日に呼ばれた時、必要なプレゼントや、必要最低限のものを買っていました。自分は夫が仕事でファーストクラスでもらってくる、ただのパジャマを着て、ホテルでもらってくる小さいシャンプーを使っていました。

その時は、それが普通でした。実家も質素倹約、結婚してから、華やかになるまではギリギリだった家計の生活のまま、私は気持ちまでセレブになることはできませんでした。夫から「君にはお金の才能がないから全部僕がやる。」「堅実であるべき。」という夫は、自分には本当にたくさんのお金を使うが、私のお金は家族のための必要経費以外なし、という考えでよしとしてしまった。だって、私は、実際に自分でお金を稼いでいないのだから。

華やかなお仕事の成功の裏は、来る日も来る日も仕事三昧。家族でいる時間も、週末も少なく、居ても寝てるか仕事してるかTVをみているかでした。

家族での温かい瞬間を夢見続けながら、そのいつかは、残念ながら、13年間 感じることはできなかった。最後の1年はそっちに近づいて来た気がしていたのだけれど、夫は心身のバランスを崩した。私も子供も心身のバランスが崩れていた。

夫は心の渇きを癒すべく子供と私より、まだ見ぬ女性を選んで飛び出て行ったのでした。
最初はさすがにショックでしたが、結局、シングルマザーとして、子供二人と3人の食卓は、父親キャラを失った感覚は無く、もともと、居ても心はいつもここに居なかった父親に、みんな、とても寂しい思いをしていたことがわかり、逆に、いた時の方が寂しかったことに気がつきました。

一緒に食べなくても、心が繋がっていて、聞いてほしい時にお互いが居て、悲しみも笑いも分かち合い、自分以外の誰かを演じる必要もない。理想と反対の状況が平安をもたらすなんて、信じられませんでした。

良い妻の役割

私が演じ切った良い妻とは、そこらじゅうに置いてあるマグカップやコップを回収し、仕事の合間の代わる代わる趣味のためのオンラインショップのダンボールをたたみ続け、趣味が変われば場所確保のために本人に聞きながら処分し、守られない約束に対してできるだけ文句を言わず、対処し、終わらない家事を家政婦のようにこなし、仕事の話を聞き、子供の世話をし、ゆっくりと休める環境を作り、不倫の心配など一切させず、お金を入れてもらっている引け目を感じながら、相手を敬う。そうすれば、昭和時代のCM、チャーミーグリーンの老夫婦のように、仲良く手を繋いで年取っていけると思っていたのです。

理想の家庭のために、必要だった相手。きっと、彼の理想のために私もちょうど良い相手だったのでしょう。

理想の家庭が壊れた今、心は解放され、理不尽さを無理矢理飲み込むこともなく、子供が自然と明るくなり、笑顔が増えました。

今は、息子のこんなに自由でウキウキした顔や、娘の満面の笑みを見て、しみじみと、逆にこれでよかったんだなぁと思います。

欲しいものが、人質に取られたのでした。

私は暖かい家庭が欲しかったんですが、そのために、色々なものが失われていました。

自分の役割をこなし、相手にも自分の家族キャラをちゃんと演じて欲しいと心のどこかで期待を拭いきれずにもいました。

時間と場所を共に過ごしても満たされなかった日々は終わり、みんなそれぞれ自分らしくいるだけでいい。そんなお家はとても居心地が良く、笑顔が行き交う、陽だまりのような場所となりました。

理想と現実の間で

欲しいものはあるものを見えなくする。機能不全家族がみえず、自分の相手への期待も見えませんでした。

今は、お互いが居る。悲しみを乗り越えて、絆が強まった子供たちと私。死だけが家族を分かつと思いこんでいた日々は過去となり、幸せなはずの手を繋いでいる未来は、今、ここで味わえている。ずっと一緒に居たかった人とずっと一緒に居る、という感覚と、自分の場所を取り戻しつつある優しい日々。

理想はいつか執着に変わり、理想のためにたくさんの妥協をし、相手への役割を果たす期待が敗れたことにガッカリして、一体、なんのために、ガッカリしたり、妥協したりしているのかわからなくなりました。 

理想は、自分を幸せにしてくれるものと思っていたけれど、いつの間にか、理想に振り回されていたのです。「今ある状況に感謝する。」という言葉にすり替えられた虚しさは、昔、ポッカリと空いた穴が埋まらない、という感覚と同じでした。

埋めよう、埋めよう、としていた穴は、理想の家族が崩れ去ったと同時になくなった。何かを追いかけていた今までとは違う、ここに居れる毎日は、登り切った山の上にいる気分です。

よく考えたら、結婚前だって、ただ結婚がしたくて、いろんなことを我慢していました。でも、結婚が欲しかったんだから、それで良いと思う。欲しいものを求めて、山に登れば、頂上の風景は、思ったものとは違うかもしれないけれど、必ずたくさんの学びと体験が必ずあります。

いつも、自分よりも周りの意見を尊重してしまっていた私は、自分の意見は自分が尊重しない限り、相手に伝わることも、勝手にやってくることもないと学びました。そして、理想が執着になりえること、理想は自分の心の暗闇を写していたこと。もちろん、理想を持つことがいけないわけじゃありません。今までよりも、より健康的な理想との関係を築いていける、ということじゃないかと思う今日この頃なのです。

よく見てみると、完全に自己愛性人格障害の夫。この外に理解されるようなことはない静かな攻防。しかし、それさえも、ただの障害と見て、それに引きずられない自分になっていく。ここまでいかなければ気づけなかった私の深い闇にどんどん私の懐中電灯の光は差し込んでいくのです。

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